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中国大陸や朝鮮半島との交流の始まりのころから「からくり」の技術は渡来していたのではないかと思われます。
日本書紀に記された、7世紀に天智天皇に献上したとされる指南車(しなんしゃ)が日本では、もっとも古いからくりの 作品の記録です。人々が9年がかりで造ったとあります。
指南車(しなんしゃ)とは『南の方角を指す車』のことで、車が方向をかえると車輪の向きにあわせて車の上に立つ仙人が向きを変え、仙人像の手は常に南を指すものです。三国志にも出てくるもので、戦いの際、霧が濃い日の方向確認に使用しています。

その後、完成された山車からくりや座敷からくりが誕生したのが室町時代です。当時、南蛮文化がポルトガル船によりもたらされた際に、西洋の先端技術も伝えられました。機械時計はそのひとつです。自動で正確に時を知らせる時計はこのとき大変な驚きをもって迎えられたことでしょう。これらは、日本の職人技術に大きな影響を与えます。
しかし、この頃のからくりは、一部の貴族の観賞用でしかありませんでした。

江戸という泰平の時代に入りからくりは、江戸職人の粋でユーモラスな発想と手技によって発展・展開します。
天才的機械時計師であった竹田近江が、時計のからくり技術を人形浄瑠璃に取り入れ、大阪を中心に各地で上演するようになると、それまでは糸引きによってあやつられた山車からくりにも、ゼンマイ動力や歯車が取り入れられ、迫力と華やかさのあるものへと変貌します。
又、自動で動く人形が誕生したのは、人々の意識を大きく変貌させる出来事でもありました。東洋の技術であった山車からくりと西洋の機械時計の出会いが新しい日本の技術を生み出したのです。
様々な技術書が出版され始めた時代の中、このからくりの動きの原理や作成図を記した「機巧図彙(からくりずい)」という本も出版されるようになりました。これは、それまで極秘で伝授された職人技術が一般に公開された最初の試みです。 からくりは、武家から町人まで多くの人々の関心を呼び、それに伴い、各地で新しいからくり技術が誕生します。
たとえばカラクリ箪笥は、徳川家が、全国の名の知れた宮大工を呼びよせ神社や城を作らせた際、遊び心のある大工が、当時人気のあったからくりの技術を箪笥に仕組み込んだのがはじまりだとされています。

又、船で物資を運ぶ交易船などに、船が沈んでも大切な書類やお金を守る為、カラクリ技術を用いて水に浮いてしかも簡単に開けられない金庫が作られたのが船箪笥の始まりです。そして日本のカラクリ技術はヨーロッパの人にも驚きと関心を誘います、ヨーロッパで言うからくりのオートマタの開発技術にも大きな影響を与えています。
まさにからくり技術が世界の国々で開発され技術研鑽の往来が江戸時代に行われていたのです。
 
       
       

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